桂雀々独演会

初めてのサンケイホールブリーゼ
サンケイホールがこんなになっちゃったんだなぁ。全然関係ないけど、歌舞伎座もこんなふうに変わってしまうのだろうかと思った。さよなら公演、まだ行けてない。

地獄八景亡者戯を、初めてなまで聴く。愛宕山もだが、たわいないことの積み重ね・・・という噺が、やたら好きだ。たわいないことを、延々と聞かせるだけの腕のあるひとがやるからかもしれない。この日は、耳あて(?)を使った見立てがめちゃめちゃツボだった。丹下左膳だけだったらそうでもないのに、柳生十兵衛森の石松とたたみこまれるともうダメだ。単純なのが三つ重なると、裏返って妙におかしい。
雀々さんも、本当に独特だなぁと思う。喬太郎さんのような噺家さんが関西にいないように、雀々さんのような噺家さんは東京にはいない気がする。もちろん、私が知っている中で、だけれど。何かひとつあげろと言われたら、あの泥臭さが好きだと言おう。

喬太郎さんは、すみれ荘二〇一号。ネタだしされていたので、雀々さんの噺を聴きながらげらげら笑ってる最中に突如として、でもこのお客さんの前でホテトル音頭を歌えるのだろうか??なんかいつもと違いますけど?と心配になり始める。
なのに、喬太郎さんが高座に上がっておじぎしたときに、ふーっとひとつ、息を吐いたのが見えると、「やっぱり思いっきりアウェイなんや〜」と思い、ちょっとわくわくしてしまうのだなー。私ってSなのかも。と思った瞬間であった。いつも喬太郎さん目当てのお客さんに囲まれて聴いていると、「手拍子なしのホテトル音頭」とかが新鮮というか、それはそれで、どちらかというと楽しいのだ。
そうは言いながらも、すみれ荘は、自分にとっては新作の中でもなにかとくべつで、それはとくべつなだけに年に1回ぐらい聴けたら十分ですというくらいとくべつなので、どれほどアウェイでもやっぱりウケてほしいなぁ・・・と思っていたのだが、余計なお世話であった。噺がすすんでいくにつれて、ちゃんと喬太郎さんのフィールドにひっぱりこんでいた。さすがだなぁ。最初の「ふーっ」も、ポーズだったのか?と思うほどです。

最後に雀々さんの一文笛。そういえば、これを聴くのは去年の二人会以来だ・・・と思い、そのときは、あの、雀々さんの手水廻しの“ちょーず”が、東京のお客さんにウケるか心配しながら聴いていたのを思い出した。毎年似たようなことをしてるとは。親戚のおばちゃんか!