末広亭6月下席

6月のメイン、末広亭下席。
お目当てはもちろん小三治さんだが、のいるこいるさんや小里んさんや正楽さんや、観たい聴きたいひとは他にもたくさんいて、いる間中、うかうかと過ごす。

この下席は、何といってもディスカバー扇橋!だった。
小三治さんのことを、「あいつは元気ですね、どうかすると1時間ぐらいしゃべってますからね・・・私はダメですね・・・」とか何とか言いながら、いつの間にか噺に入っていて、またいつの間にか歌が始まる。その話しっぷりにメリハリはないのだが、独特のテンポがあって、それが妙におかしい。わき腹をくすぐられたようにおかしい。つい、笑っちゃうというのが近いかもしれない。
その「どうして」を聴きながらもくすくすは止まらなかったのだが、着物の袖をクーラーの風に揺らしながらうたう扇橋さんをみていたら、じーんとして涙が出そうになった。あれは、なんなのだろう。悲しいとは違うし、感動したというのでもない。ただ、芸はひとなりって本当だなと、そのときも思った。

小三治さんは、やっぱり寄席のトリで聴きたい・・・と思う。と言ってもホールで聴いたことはないのだが、聴いたとしてもきっと変わらないだろう。
中入り後ぐらいから、そこへむかって客席の雰囲気が盛り上がっていく感じがこたえられない。出囃子が鳴りはじめるころにはそれがMaxになって、小三治さんの登場とともに、うねりに変わる。私はといえば、その二上がりかっこでパブロフの犬状態だ。やばい、やばすぎる。

ほんとうの意味での落語ファンではないので、小三治さんのよさやすごさを表現する言葉を持たないが、そうやって寄席の隅っこで師の話を聴いているときの、時間の密度の濃さといったら、ちょっと替えはみつかりませんなと思う。
たかが落語、されど落語。を、シンから実感する。

小円歌さんがかっぽれを踊っているときに、ツケの音が急にスカッといい感じになったので袖を見たら、小里んさんが代わって打っていた。そんなところにも年輪やセンスは現れるのだなぁ。こわいなぁ。でも、そういうこともうまいって、本当にかっこいいと思う。その小里んさんの姿は、しばらくは忘れられそうにない。