柳家喬太郎独演会〜落語春夏秋冬〜

東京の落語にも愛宕山があるというのをカラダの幇間を聴くまで知らず、アレ(私にとってのアレは、米朝さんや枝雀さんの愛宕山だが)が、東京にいったらどんな感じになるのだろう、いっぺん聴いてみたい・・・と思っていた。
そしたらば。
落語・春夏秋冬の春が愛宕山だというので、紀伊国屋ホールへ出かける。年度末決算のさなかに連休を取るという暴挙。長屋の花見だったら行かずにすんだのになー。

あまりきちんと自覚したことはなかったが、愛宕山の、ありえへん!を言わせないほどの大様な空気が、ワタシは好きなのだと思う。聴いていると、春独特のぼよ〜っとしたかすみのようなものが頭の中に漂ってくるところも。
喬太郎さんの芸質とそういうこととが相容れるのかどうかというか、路線違いなんでは?みたいなもやもやが聴く前にはあったのだが、でも始まってしまえばそんなことはなんでもない。
土器・小判投げに夢中になる旦那、小判を拾いまくる一八なんかを、ひたすらに楽しむ。
たいていは噺家さんが先にありきで、噺に対してはあまりどうこうはなかったから(だから落語ファンとはいえないと思う)、好きな噺家さんが、好きな噺を、匂いをこわさずにやってくれる・・・のが、こんなふうにウレシイのだということを今まで知らなかった。
20キロ痩せたらまたやるって、それがホントなら2度としないと言ってるようなものでは??と思いつつ、でもいつか、あの空気をさらに熟成させたものをみせてもらいたいなぁ・・・と夢想する。

小んぶ 「初天神
喬太郎 「愛宕山
喬太郎 「ちりとてちん
扇辰  「目黒の秋刀魚」
喬太郎 「按摩の炬燵

小んぶさんがさん喬一門だったとは知らなかった。まぁ、知らないことばっかりなのだが。初めて寄席で聴いたとき、このひと落語嫌いなんかなぁと思いました。この日はちょっと楽しそうになっていた。
そして、初めて聴く扇辰さん。なんとなーくイメージしていたのと、まったく違った高座だった。ああいうふうにかわいらしく(?)落語をするひとだったんだな・・・。いつもこんな感じなんだろうか。ギター弾き語りによる東京ホテトル音頭、しびれたっす。

もう春やし・・・と思っていた按摩の炬燵も、聞いてみるとやっぱりいいなぁと思う。切なくて寂しいのだけれど、あたたかいものもちゃんと胸に残っている。
酔いがまわり、いい気分になったよねいちが
「あ〜〜、ずっと今だったらいいのになぁ・・・」
というのを聞いて、ふと我に返った。ちょうど同じことを考えていましたよ。

出囃子代わりの季節ごとの唄が、ここがホールだってことを忘れる素敵さだった。なんだか贅沢だったな。