東西師弟笑いの喬演

昼の部
吉坊 「祝いの壷」
三喬 「欲の熊鷹」
さん喬「幾代餅」
喬太郎「午後の保健室」
松喬 「天王寺詣り」

夜の部
英華 「女道楽」(と、プログラムにあった)
喬太郎粗忽長屋
松喬 「崇徳院
三喬 「べかこ」
さん喬「柳田格之進」

大阪人なのにさん喬さん・喬太郎さんのほうが馴染深いというのは、客席に座っていて妙な感じだった。こっちの落語はずっと米朝一門しか聴いてなかったからなー。
それに、ねじれている。
リズムでいうと大阪の落語のほうがすっと体に入ってくるのだが、噺のトーンは東京のほうが今は好きなのだ。こんなふうに交互に聴くと、そのねじれを自覚する。

さん喬さんの柳田格之進は、時間と情景とが丁寧かつくっきりと描かれているところが好きなので、前半は本当に楽しい。そして、おみつの変わり果てた様子の描写までもがあまりにも鮮明で、番頭の「身に代えての世話」ぐらいで元に戻るとはとても思えないのが、この噺のなじめないところ。
番頭がこのまま格之進の家に行かなきゃいいのになぁ・・・といつも思うけれど、やっぱり番頭は格之進の家に行き(当たり前だ)、今日も「お前にはがっかりだよ、番頭。」なのだった。

それはともかく、とりあえず、さん喬さんの集中力は、すごい。
ずっと聴きたかった幾代餅も聴けて、なんと踊りまでみてしまった。茄子とかぼちゃ。あんな踊りにくいところでもすっと踊ってしまうのは、さすがにプロの芸人さんだなぁと思った。

松喬さんのことばは心地いい大阪弁で、このリズムはどこかで聴いたことがある・・と思っていたら、浄るりだった。住大夫さんを思い出した。気持ちよいはずだよ。
力の抜け具合がなんだかよくて、くすくすと笑った。

そして、午後の保健室のまくらで「まだ大阪にはなじめない」と言っていた喬太郎さんだったが、「やっぱり。」と思うところと、「でもマシになったような気もしますよ。」のまだら模様でおもしろかった。
高座の途中によく自分で、あの師匠にこんな弟子がということを言うけれど、この日も言っていたけれど、こう続けて聴くと、ところどころで、やっぱり師弟だなぁと思う。一から十までではない、ところどころで、模様のだしかたみたいなのが、似てるなぁ・・・と思うのだ。うまく言えないが。
まぁ、なんにしろ、なんかいろいろ、おもしろい。明日は愛宕山ですよ。