市馬・喬太郎二人会

新年初落語は、相変わらずぎゅうぎゅう詰めのトリイホール。体はしんどがるが、なんかここは好き。

吉坊 「軽業」
市馬 「一目上がり」
喬太郎「本郷刀屋」
喬太郎初天神
市馬 「富久」

吉坊さんを聴くのは久しぶり。若いのにこの噺をやろうなんてエライなぁ・・・と勝手に心意気を感じて応援する。言い立て(というのかな?)のところがもう少しくっきり客に届くようになったら、さらにおもしろくなるんじゃないのかなぁと思う。

市馬さんの噺はどちらもお初で、おもしろく聴いた。
一目上がりは、噺がきゅっとしまっていてテンポがいいので好きだ。富久は、なんだかやるのが難しそう。噺自体が、しまっていそうでしまってないというか・・・。うまく言えないが。

噺家忠臣蔵をキャスティングの話になったので、カマ手本か?と、どきどきしたけれど(そんなわけない)、刀屋。聴いてみたかった牡丹燈籠。
こういう噺をするときの喬太郎さんは、間といい所作の美しさといい、本当に好みなので(これはもう、好みとしか言葉にしようがない)、惚れ惚れしつつ、観聴きする。にしても、というかなおさら、発端だけって殺生ですぜ。
マクラでは「堀部安兵衛は、談春か彦いち、マニアックなところで三遊亭白鳥」の「三遊亭白鳥」の部分に客が大うけすると、半ば憤慨した様子で「すごいですねぇ〜、みんな白鳥さん好き?!」と言っていたのがおかしかった。

初天神は、子どもをかわいいと思えないと、聴きながらひゅるひゅるっとテンションが下がっていくのだが、喬太郎さんの金坊は、かわいい。なんでだろう。ついでに、金坊をぶらさげて振りながらどんどん自分が楽しくなってくるおとっつあんもかわいい。心が緩む。緩むと嬉しい。
嬉しくなるのは緩むときばっかりじゃないが、落語を聴いて嬉しい気持ちになるのはステキなことだ。
今年もいっぱいステキな高座にめぐりあえますよう。己の感性も磨きつつ。