初春文楽公演

小三治さんのいう“お正月の過ごし方のカリキュラム”からすると、3日はいつも文楽初芝居初日だったのだが、今年は4日になった。友人と一緒で嬉しい。
近頃は文楽を観に行っても、いなくなったひとのことばかりを想っているような気がする。目の前の舞台をきっかけに、色々なひとの様々な姿を思い出し、悲しくなったり寂しくなったり・・・。もはや文楽を観ているときは、今を生きていないといっていい状態。
それはもちろん、今舞台に立っているひとのせいではなく、自分自身の問題だ。我ながら不甲斐ないけども。

四季寿の三味線のシンは清治さんで、やっぱりとびきりいい音だった。
目を瞑って聴いていても、それだとわかるくらい他のひとと違っている。
でも、今が聴き初めだとしたら、特別には惹かれないだろうなぁと思った。私にとっては浄るりを弾いてこそ。であり、唯一無二だと思いつめた音(思えばそれも音というよりは、音の連なりから生まれ出るもの、だった)は、景事の中にはみつからない。
でもきっとずっとこの路線なのだろうな。寂しいけれどしょうがない。前進あるのみだ(←意味不明)。

観終わってから、友人たちと、とめどもないことをとめどなく喋る。
話がよくとっちらかる(先代萩と加賀見山がごっちゃになるくらい)私の相手を、根気よくしてくれる二人に感謝。ええお正月でしたワ。