立川談春大独演会

東京の落語を聴くならば、いっぺん聴いとかなあかんやろと思っていた談春さんの独演会が、大阪であるというので出かける。「フェスティバルホールで落語を聴いておもしろいのか?(でかすぎるだろう)」「聴いたこともないのにもし合わなかったらどうするのだ、独演会だから逃げ場はないぞ?」などと、一抹の不安も抱きつつ。

最初の噺の「夢金」の出で、どちらかというと気圧された様子で「すごいな」とつぶやくのが見えたとき、談春さんの鳥肌が伝染した。鳥肌って伝染するのか?っつか、そもそも本人も鳥肌立ってたのか?とか、そういうことは知らない。でもその姿をみて、こちらまで気合が入ったのだ。背筋が伸びた。
おじぎをして頭を上げて「その日・・・」とすっと話に入る、そのときに、ちょっと、お?と思う、マクラなしというのを初めて聴いたので面食らったのだろうと思っていたがそうではなかった。談春さんはこの、地の部分(と落語でもいうのだろうか?ナレーションにあたるところ)が独特だと思う。そこに談志さんの匂いもする。

なんというか、意思の人だなぁと思った。やりたいこと、やろうとしていること、求められていること、の全てを、常に考え、どんどん行動するような・・・でも、そんなことができるひとは、そうはいない。だからこそ、東京の芸人さんで、あのキャリアで、フェスティバルホールをほぼ満員にするなんてことができるのだろうし、器の大きさなんて関係なくやれるのだろう。行く前の不安は霧散した。そういうひとを傍で眺めているのは、楽しいものだ。スクリーンも出ていたが、小さくても正面でなくても、ホカホカと湯気が出ているような生の舞台姿のほうこそを、今は見ていよう・・・と思った。

「夢金」と「芝浜」の組合せというのも、なかなか。聴いていて、始終寒い思いをしなければならなかったけれど。魚屋が一服しながら東と西の空を見比べる場面のきりりとした朝の空気は、当分の間、私の中から抜けないだろう。