まだまだGW

写楽
特に写楽が好きというわけではなかったのだが、時間が空いたのと、まとまった数が見られるのとで上野まで。
例によって順路を無視して適当に入ったら大首絵を並べた部屋で(後から考えると一番にここをみたのは幸せなことだった)、いきなりガツンであった。寝起きにトンカツを食べさせられるような感じ。図版で見てたのとは全然違った。迫力というか広がりというか・・・サイズのせいだろうか?ちょっと唸る。役者絵はこういうのが好きだ。写実ではないいきの良さ。
しかしこういう素敵さはこの時代の浮世絵師がみんな持っている種類のものかもしれない、ほかの絵師はどうだったんだろう・・・と思いながら歩いていたら、ちゃんとそういうコーナーもあった。恐るべし東博。っていうか、私の思考パターンが単純なんだろな。

5月浅草上席
小三治さんを聴きに。ほんとーに久しぶり。二之席に行けなかったときは、悔しさのあまり夢の中で行ってたなー。それで「こんなにすっきりするなら早く来ればよかったよ!」とか言ってたのだった。なんと安直な。
初日のこの日は、いつもの縁のマクラから「厩火事」。具体的なことは何も言わなかったのだけれど、思うところはたくさんあるんだろうなというか、その思うところの多さが噺のなかから滲んできて、聴くほうはそれをすくいあげつつも噺にぐいぐいひきこまれていく。具体的でないだけ、噺に集中し、その世界に入る。このご時世に一心になれることの有り難さをしみじみかみしめた。忘れない。

GW中、東京に住む何人かのひととお会いした。自然と話は地震以来の世界観の変化について、あるいは変化せざるをえなかった状況のことへとむかう。その中では私は「西に住むひと」という括りの中に入れられ、線を引かれ、そのことも含め、いろいろと考えさせられた。未だに考えている。