風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム

気が滅入っていて萎えそうになりつつも、「島袋さんが大阪にきてるんだぞ!」という自分もいて、やっとこさ外へ。
何かがもう、違っているような気がする。悲観的になっているのではなくて、明るい日差しの中、高架の上をむこうから走ってくる電車、そんな光景のほうが現実味がないように思える瞬間があったりする、そういうこと。

島袋さんの作品が好きなのは、きっと同じように「自分がやりたいと思うこと」をやっていても、他者へも向かっているからだろうと思う。どこまでも自分に向いているひとの作品は、それはそれでよさがあるのだろうが、なんだか苦手だ。「ああ、そうですか。」と思って、そこから先に進めなくなってしまう。それに、自由を生きている(ように見える!)ところ。対談を聞いているときもそうだったけれど、自由かつ楽しく生きるって素晴らしいし、そう生きていいのだといわれているような気がするのだ。勝手に。

この日は特別にカメ先生の師匠もきていて、すごく長い時間をカメさんたちを眺めながらすごした。粗相をするたびに係のひとが床を拭く・・・というのはある意味シュールな光景だったが、それも含めて楽しむ。全然関係ないけど、先生たちにとってはこれはどういう体験なんだろか。