夏芝居

中座でやっていた頃から、この夏の芝居が好きだった。
やたら暑いのだけれど、それを補ってあまりある独特の楽しさがあった。ひょっとすると、暑さゆえの楽しさだったかもしれない。

道頓堀通りを歩いていると暑さのあまりものごとの輪郭がぼやけてきて、なんだか昔の芝居町にいるような気がしてくる。舞い上がる砂埃や呼び込みの声はもうないけれど、そこにある空は同じだ。私は悪所の匂いをかぐ。大好きな匂い。それにまみれながら劇場に突入するのだ、おもしろくないわけがない。(暑さで頭がヤラれていただけなのかもしれないが。)「敵討天下茶屋聚」なんて、暑い暑い中でみるとよりコテコテで陰鬱でたまらんのだけど、でもそういう湿度というか粘度が何とも言えずよかったりした。かえのない思い出だ。

松竹座ができて、きれいになり、空調がよくなっても、それらの記憶は自分の中に刷り込まれていて、やっぱりいつもと違うふうにうきうきしてしまう。

御浜御殿綱豊卿。仁左衛門さんでみるのをほんとうに楽しみにしていた。
酔態はどこまでも柔らかく、本心を語るときは鋭く、その間を行ったりきたりするさまが鮮やかでぐーっと引き込まれる。とうとう敷居を越えた助右衛門の言葉を「何か用か!」と待つ間の渇望、それが(言葉だけではなく)何も得られないという失望に変わった瞬間とが、ものを言わぬわずかの間に、全身から伝わってくる。その失望はあっという間に綱豊の中の孤独と結びつき、彼はあえなくいつもの人生に戻るのだろう。

仁左衛門さんの演じっぷりには心から酔ったけれど、戯曲自体の昭和のかおりが今となっては苦手な感じだった。それでもうらをかえしたのは、やっぱり夏芝居だったからのような気がする。