御名残三月大歌舞伎 道明寺・石橋

さよなら公演で上演してほしい演目というアンケートがあったとき、道明寺と書いた。勘三郎さんの船弁慶とか、みたいものは他にもたくさんあったけれど、ひとつ選ぶとしたら「仁左衛門さんの菅丞相で道明寺」だなーと思ったのだ。
結論をいえば、そういう過度な思い入れを持って観たのにも関わらず、それ以上のものがそこにあり、圧倒された。本当にそれは始終そうで、どこがどうもないのだけれど、最後、三段で片足おりて見上げた姿は、一番忘れられない。その高潔さを保ったままの悲しみと無念。

玉三郎さんの覚寿は、今までみたどの覚寿とも違っていた。それとは別に、義太夫の台詞を現代語並みに意味をもたせて話すひとを初めてみた。しかも、一語一句だ。どんなことが起こっているのだろう。それもあり、なんというか、とてもわかりやすい覚寿だった。でもきっと、このあとも進化していくだろうなと思う。

先月の籠釣瓶のおきさもだけど、立田前のような役の秀太郎さんもほんとうに好みだ。こんなに過不足ないってどういうことなのだ???市蔵さんも我當さんもだ!いい役者のそろった歌舞伎って重層(役者の中に積み重なるもの)な重奏(芝居)だよなぁ・・・と思った。

石橋は初めて観た。後ジテの大薩摩は天王寺屋仕様なんだなぁ。なんか全体的に複雑な気持ちだった。