映画  小三治

第七芸術劇場へ行く。
初めて池袋演芸場に行ったとき、あたりのようすがここと似てるなぁと思ったのだった。久しぶりに行ってみると、前の道がこちらのほうがずっと広かったりしたのだけれど、やっぱり似ていて、なんとなく池袋に小三治さんを聴きにきた気分。言うまでもなく、今もっとも心躍ることのうちのひとつ。

全てはその高座にあらわれる。
というのは、ほんとうだと思う。映画の中にでてきたこと、映画の中で小三治さんが話していること、を、知らないのに知っていたような気がするから。
細部は知らない、でもその源流を知っているというか。
源流は高座からにじみでていて、聴き手は誰でも絶え間なくそれを感じている、その隠しようのなさも落語のおもしろさであり、こわさなのだと思う。

なにしろ映画なので作り手の意図というのはあるに違いないけれど、それが極力おもてに出ないように処理されているようで、のんびりと観た。去年の「プロフェッショナル」みたいなのは苦手なので、この感じは好きだなぁと思った。

そしてそして、扇橋さんの魅力満開!だった〜〜。素敵すぎる!
私にとっては、「小三治」というより「小三治と扇橋」、いやいっそ「扇橋と小三治」だったかも。