クレー・ならはく・文楽

朝もはよから京都へ。クレーのことはよくわからないのだけど、たくさん並んだ作品が相互に作用しあっているなかを泳ぐというか、漂っているのは心地よかった。高校生、絵画教室の生徒と思しき高齢者、両団体の襲撃にあい、とても賑やかななかで観たのだけれど、そういうことも楽しく思えるくらいに。
コレクションでは、なぜか岡本神草に至極まったりする。いつも思うのだけど、こう描かずにいられないっていうのは、なんだか切ないなぁ。

そのあと、はるばる奈良博。「誕生!中国文明展」であります。自分の中に中国という文脈はないものだと思っていたので、意外に楽しいことに驚いた。青銅器の造形はおもしろく、違うようだけど、違うんだろうけど、でもやっぱり、ひとの考えることは同じだなぁと思った。大きくいえば。空いていてとても見やすかったです。
岡崎は満開の桜だったけれど、こちらは盛りをすぎようとするところで、花びらが舞うようすに、夢みたいだ・・・と思った。甘い感じではなく切実に、紙一重な感じ。

そして、久しぶりに文楽を幕見。なんというか、あらためて、文楽の根っこは薄暗さにあるなぁと思った。そこからは出られないというか、出ないほうがいいように思う。清治さんは竹生島なんてところを弾いても変わらず健在で、海から眺める灯台のようであった。