柳家喬太郎 みたか勉強会

前の週の名古屋での独演会もあまりピンとこず、もしかしてもう喬太郎さんにあきたんだろうか・・・と思っていたが、とんでもなかった。ときどき、そうやってデカイ波がくる。油断がならぬ。

昼の部
市也 「子ほめ」
喬太郎 「そば清」
時松  「松曳き」
喬太郎 「双蝶々 定吉殺し」

そば清は、清兵衛さんのそばの食べっぷりの細かさでだんだんペースにはまっていくというか、さん喬さんのそば清に慣れた身には、そのだんだん具合がおもしろかった。もう、本当に色んなことを言うのだ。喬太郎さんにとっては、ここなのだろうなー。きっともっとおもしろくなると思う。

そして、時松さんの話しっぷりもおかしかったが、なんだ、この好きな感じの噺は!と思っていたら、松曳きらしかった。初めて聴いた。1番好きかもしれない。三太夫と殿さまのWボケの、どこまでもゆけそうなところが好き。たくさん聴きたいと思った。

それから、定吉殺し。
守り袋を買ってやるからと言いながら定吉を見下ろす目つき、躊躇も憐憫もなく気を失った定吉の首を締め上げるようす、長吉は、静かで冷たい。そして、番頭も定吉も少しずつ道をはずしている。全てのことが、ある一方向をむいている。ひたひたと音がする。
長吉が首を締め上げるたびに、なにか重たいものがゆらゆらと肚の底へ沈んでいくようだった。それは黒いものではないが後をひき、その肚の重さを抱えながら、一体、今、何をみたんだろうと思った。
喬太郎さんはときどき、そんなふうにえも言われぬものを高座から放ってくる。まぁ、私に言葉がないからえも言われぬだけで、ふつうのひとはちゃんと言葉にするのかもしれない。どちらにしても独特の世界だなぁと思う。

夜の部
市也  「真田小僧
喬太郎 「花筏
わか馬 「野ざらし
喬太郎 「三題噺−滑舌の悪い噺家・衣更・一升瓶」
     「東京無宿 棄て犬」

わか馬さんは、言葉がつぶだっているところ(?)がいいなぁと思った。まだ真打ちでなかったのだなぁ。渾身の野ざらしであった。

夜の部最後は、三題噺と棄て犬。
棄て犬〜!!
言葉を使わず、犬の姿のまま感情を表現する・・・というのがおかしくて、げらげら笑っていたのだが、そういう噺ではなかった。最後の、土手をいく車と黒い塊。という光景があまりにも鮮明で、黒い塊の正体よりも、その鮮明さのほうにびっくりする。ただ、不思議と救いのないという感じはしなかった。ニブイのか?
でも、こういう噺を作り、今になってまた高座にかける噺家・・・としての喬太郎さんは、とても興味深い。なんというか、傍で思うよりずっと切実なのだと思った。これは噺の筋とは関係なく。