喬太郎・三喬二人会

沈丁花が匂うようになった。少し寒さが緩むとうぐいすの鳴き声が聞こえる。お水取りも終わって、いよいよ春かな。

喬太郎三喬二人会でワッハホールへ。三喬さんは、たぶん一年ぶり。丁寧で、親切だなぁと思った。ほわほわしつつ、客席をよむみたいなところもあって、おもしろい。饅頭こわいのアリが怖い男がとってもツボで、はらの底から笑う。

いつもぼんやりとは思っているけれど、この日は特に、同じ喬太郎さんでも、大阪で聴くのと東京で聴くのとではやっぱり違うのうと思った。当たり前といえば当たり前なのだが、客席の反応が違うので。反対俥のなかで「戦ってんだよ!大阪で!」と言っていたのも、半分は本気だろうなーと思った。
反対俥のあいだはそういうのも楽しかったが、おせつ徳三郎の刀屋に入った頃になると、客席がどう思ってるのかがわからないというか、大阪でこういう種類の噺をするってのはムズカシイのか?という気がしてきた。土壌が違うということだろうか・・・って、噺を聴きながらそんなことが気になるとはこれいかに。集中して聴いてないのか。

でもでも。
その描写力は相変わらず見事だと思う。おせつと徳三郎が再会するあたりからぐっと冴えてくる。そして、心中の場面。
言葉は簡潔なのだが、身を投げたふたりの姿が余韻を残して川面に消え、その情景の鮮やかさと美しさのなかに放り出されたような気持ちになる。やるせなさと美しさに、胸の中のざわざわが消えない。
そして、ふと、おせつ徳三郎って一体どういう噺なんだ?と思い、でも、この日受け取ったことがこの日の自分にとっては全てで、それでいいのではないだろうかと思いなおす。この次は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。それにだってたいした違いはないのだ。たぶん。