アート欲を満たす

やなぎみわ展「Lullaby」
南青山へ。やなぎみわさんの新作は映像作品。grandmotherとgranddaughterのくんずほぐれつ。でも 、ララバイ。
軸は変わらず、とどまっていないところがすごいなーと思う。手抜きがないところも。もし抜いていたら、こういう種類の映像は5分と見ていられない。反撃したほうが必ず形勢を逆転させるところもおもしろかった。
それは、永遠に繰り返されるのか・・・と思ったけれど、そう単純でもないのだろう。永遠だと思われていることだって、本当に終わらないかどうかなんてわからない。

南桂子展 「まなざしの彼方」
南さんの作品は、たいていどれも好きだ。ピンとこないというものがない。常におだやかな詩のようなものが流れていて、それがしっくりくるのだと思う。
実際に詩集の挿絵もされていたらしいのを私は知らなかったのだけれど、街の門という作品をみたとき、ここからお話がかけそうだな・・・と思っていたら、そこに谷川俊太郎さんの詩がついたものが展示されていた。すてきだったので、メモる。

 目をつぶっていると
 神様が見えた
 うすめをあいたら
 神様は見えなくなった
 はっきりと目をあいて
 神様は見えるか見えないか
 それが宿題

私にとっての神さまは、一般に神さまの名前で呼ばれるものではなくて、美しいもの・善きものの源になっている大きな何かだ。それを探して、再現しようとして、ありとあらゆる表現者は表現し続けているのではないかと思う。或いは、私自身がそれを探して、舞台を、絵を、作品を、見続けている・・・と言ったほうがいいかもしれない。その美しさは表面的なものだけでなくて、猥雑なものや暗闇のなかにもあわせ鏡のように存在するから油断ならないし、おもしろい。

佐東恵展 「虹彩の断層」
ああ、美しいな。と、思った。この絵に囲まれていたら、そういう意味での神さまを、なんとなく感じられるような気がした。いつか、その道を見つけるひとなのかもしれないなーと思った。こういうとき、美しさに理屈はいらないと心から思う。

土偶
おもしろかった。造形・・・という意味でのおもしろさももちろんあったけど、たくさんのひとが、ガラスに顔をひっつけて、大真面目でみているというシチュエーションに。そんなふうに作ったのではないような気がしたので。祝日だったせいか、エライことになっていました。

荒木経惟舟越桂 「至上ノ愛像」
日比谷へ。
月並みだけれど、母子像が美しくて、子どもを生まない身としては凹んだ。やっぱり、ホモサピエンスとして真っ当ではないんじゃないだろうかというか。でも、そこを通り越すと、それだけが道じゃないよなとも思えてくるから不思議。そんな力がある。全否定のあとの肯定。
舟越さんの作品は相変わらず、私の心の細いところをつっつく。

東京近代美術館所蔵品展
華岳の「日高川」が出ていたので、竹橋へ行く。この絵をみるのは2年ぶりぐらい?
前みたときとは違い、清姫はこのあと蛇にはならないんじゃないかなぁという気がした。たぶん、自分のなかの蛇度が減ったのだろう。我ながら、本当にみたいようにしかみないのうとあきれる。でも、そう見えてしまうのだからしょうがないやね。(←こいる先生風に)