正月二之席

二之席は小三治さんをイヤというほど聴くのだ!と決めていた。
聴き飽きて、本当にイヤになってくれたら何かと助かるのだけれどと、半分は本気で思っていたが、ならなかったよ・・・。やっぱり。

師の噺を聴いているときというのは、なんというか・・・海を漂っているようだ。全神経は開放されているが、ゆるんではいない。噺っぷりのディテールもさることながら、そういうことが自分の中に積もっていく感覚が好きだ。そんなものを蓄積して何になるのだと言われると困るが。

考えてみれば、自分がどんな状態でも客を笑わせるって、なんてハードな仕事なのだろう。師に限らず、ひとが、自分の仕事をどこまでも全うしようとする姿は、本当にかっこいいと思う。高座をおりる姿にも惚れ惚れした。きれいごとも、お涙もなしで。

いつでもどこであってもとはいかないが、寄席は本当に楽しいところだ。
ろべえさんの声って結構好みだ・・・に始まって、小里んさんをしみじみ聴いたり、さん喬さんが出てくると拍手をやめられなかったり、のいる・こいる先生におなかを抱えたり、1年ぶりに聴く権太楼さんを懐かしがったり、なかなか忙しい。太神楽の寿獅子を見るのも好きなのだ。寿がれてるって感じがするから。
扇橋さんは相変わらずそよそよとおかしくて、あの調子で「かまぼこは練馬に限る」とか言われると、笑わずにいられない。なんべん聴いたかしれないつるの、「いいだろ、この、つーーーにとぼけた味わいがあって」にまた笑って、それをそのまま師匠に捧げますよ!と思う。
川柳さんが「客は飽きても、オレは飽きない」と言っていたのもおもしろかった。そうこなくては!たまにはジャズ息子も聴いてみたいけれど。

自分の名前入りの手ぬぐいは高座では滅多に使わない、たまに気合を入れるときぐらいで寄席ではなかなか使わない・・・という話のとき、ほー、落語会のほうが気合が入るものなのか〜と(いちいち全部本気にするな!と自分にツッコミつつ)思ったのだけれど、だとしても、私はこれからも寄席に聴きに行くだろうなーと思う。以前にも書いたけれど、そういうもろもろ(超退屈。な時間も含めて)の果てに、小三治さんがでてくるのがたまらないので。

聴いてみたかった厩火事にあたったときは、嬉しかった。女好きのする噺(?)だなーと思った。師の贔屓の女のひとなら、絶対、きゅーっとなると思う。あと、めちゃめちゃ苦手で、誰のを聴いても苦痛でしかなかった長短が、苦痛どころか思い切りげらげら笑えたのが、我ながらゲンキンなことだよと思った。野ざらし後半の歌の数々も楽しかったなー。書き始めると、キリがない。今年もそんなシアワセな時間を過ごせることに、感謝する。