クリアだということ・志らくさんの落語

久しぶりに志らくさんを聴く。好きな噺家さんではあるけれど、ほいほいとは聴きにいけないのです。
冷やかしか!と思われるといけないので「遠いですが絶対に行きますから当てて下さい。」と書いた・・・おかげかどうかわからないが、無事当選はがきがきた。リクルートさんありがとう。

にしても、50周年記念イベントである。タイトルも『落語とトークによる「粋な生き方のススメ」』だ。期待しないのが普通だろう。なのに、百年目だ。もうそのことだけで、志らくさんのすごさがわかったような気がした。落語人生の幼少期を米朝さんの百年目で育ったので、志らくさんの百年目の世界にはなかなか入っていけなかったのだけれど、でもそれとこれとは別なのだ。小さい会で大きいネタを聴けたからラッキーとかいうのでもない。ただ、すごいひとっていうのは、常にこうなのだなーと思った。

志らくさんの高座をみていると、その志の高さやクリアさに目が覚めるような思いをする。目指していることと現時点とのキョリ、それを縮める方法、その全てを、あらゆる時点で(つまり常に)、的確に把握しているからだろうと思う。噺もさることながら、そちらのほうによりたくさんひかれる。落語のあとのトークにもそんな感じがビシビシ出ていた。参ったス。