長谷川等伯展

絵の前ではっとすると、それはたいてい冷たく寒い景色だ。金碧画は永徳ほどにはいいと思わなかった。冷たくて寒いけれど、ひとを拒んではいない景色。そういう等伯が好きなのだと思う。寒江渡舟図、波濤図、松林図屏風。
他に離れがたかったのは
「弁慶昌俊相騎図絵馬」(弁慶!)
禅宗祖師図襖」(猫を斬らんとする僧の目よ)
「檜原図屏風」(珍しく和む)
「萩茫図屏風」(風が吹いてた)

でも、やっぱり松林図屏風だ。
部屋に入ってひと目みたとき、がつんときた。靄のかかった松林、そこには確かに肌に感じるような湿度がある。とてもリアルだ。でもだからといってそれだけでこんなにひとの心を動かせるものだろうか。ここには本当には何があるのだろう・・・絵の前でしばらくぐるぐる考えていたが、ぐるぐるなだけにどこにもいかない。霧は深くうつろってはいるけれど、実際にこの景色の中にいたら時間という概念は奪われてしまうだろう。必要がないといったほうがいいのかもしれない。
等伯はどうしてこれを描いたのだろう。性懲りもなく、答えのない問いを自分になげかける。普段はそんなことを考えたりしないのだが、その「動機」が気になって仕方なかった。
ひとが生きたことの意味は本人にしか規定できないものだろうけれど、それでもこのような絵を一生のうち一枚でも描くことができたらじゅうぶんだろうという気がする。